1.水の中

 

 

凍てつく風が皮膚を切り裂くような痛みをもたらす。

足首まで積もった雪は走ろうとしても上手く走れず、何度も転びそうになる。

冷え切ってしまった小さな手をしっかりと握り締める己の手。

その手は微かな温かみを残しつつも、青白く、白い皮膚から赤い血が滲み出ている。

「もう少し・・・もう少しで」

声の主を覗こうと視線を上げる。

同時に目の前が水の波紋のように波打つ。掴んでいたはずの自分の手から「その手」はするリと抜ける感覚を覚えた。

声にならない声を出したと思うと、波は段々と大きくなり、黒を帯びた青色に染まっていった。

「    」

 

 

 

その日は先生達も仕事を終えて早く帰宅したんです。

僕は次の日の宿題を教室へ忘れてしまったことを思い出し、僕は宿題を取りに学校へと戻りました。

でも扉は全て閉まっていましたけど、一階の図書室の扉の鍵が壊れているのを思い出したんです。

とどのつまり、僕はそこから侵入しました。

図書室のセキュリティはその日メンテナンス中で、先生達も門が閉まっているから大丈夫なんて思っていたから誰かが入り込んでも何も起こらなかったし、もしセキュリティが反応しても素直に伝えれば解ってもらえると思ったんです。

 

そして教室から宿題のプリントを持って帰ろうとした−その瞬僕は聞いたんです。

 

―女性のか細い声。

 

最初は気のせいだと思ったんです、でもそれがハッキリ聞こえてきたんです。

ここまでくると僕も男です、声の主が誰なのか探してみようと思いました。

鞄を抱きしめながら、恐る恐る真っ暗な階段を懐中電灯を照らして降りていきました。

一階の渡り廊下の所へ来た時、風に乗って声は室内プールの方から聞こえてきたんです。

 

更衣室からプールを覗くと、勿論誰もいないんです。

気のせいだったんだ、そう思って僕は帰ろうと振り返ったんです。

 

するとまた声が聞こえたんです。

 

一気に頭から血が引いていくのがわかりました!!僕はゆっくりと振り向いて・・・そして見たんです!!

 

 

「プールの水面の中からこちらを見ている女性の姿をおおお!!」

 

ぎゃあああああ、と委員長、等々力の声と同時に周りにいた徳之助や小鳥、キャットが膝に乗っている食べかけのお弁当箱をひっくり返すような勢いで仰け反り、甲高い悲鳴を上げた。

一番小柄な徳之助が特徴あるメガネを掛け直して、青ざめて明日を見ているような視線の等々力に尋ねる。

「そ、それでその後どうなったウラか?」

「勿論、僕は悲鳴を上げて逃げ出しました・・・そして別の扉から出たせいでセキュリティが反応したんです」

「あ・・・それでその事で今日、先生の呼び出しされていたのね」

目に涙を溜めている小鳥は怖がって胸に手を押さえている同級生、キャットにすがるようにしながら恐る恐る尋ねた。

「ええ、あの後、先生やセキュリティの人達に訳を話したんですが、プールには誰もいないし・・・昨日の晩はもう遅いからという事で、事情やらなにやらは今日の朝に、とどのつまり、両親と共に今朝厳重注意されていたというわけです・・・」

もう次の学期には委員長に選ばれないかも・・・

彼は顔が見えないくらい下を向いてしまった。「何か背中から黒いオーラが出てないか」と昼ごはんを食べながら冷静に聞いていた鉄男が呟いた。

 

「それって、最近噂になってる〔プールのお化け〕か?」

「キャットそうだわ!日直で遅く帰宅した二年生達も声を聞いたって!」

もはや膝の上のお弁当箱の事を忘れて、お互いに顔を見合わせ話す小鳥とキャットを横目で見ながら鉄男ははぁ、とため息をついた。

「そんなの気のせいに決まってるだろう?大体・・・」

と言いながら自分と小鳥の間に座っている一人の少年を見る。

 

『私はそのカードを入れるなら、先ほどのカードを入れた方が簡単に召喚できるのではないか?』

「だーかーら!オレはこっちの方がいいの!オレのオクトパスを信じろって!」

『それをいうならタクティクスだ』

「う、うるせえ!!」

 

誰もいない空を見上げて、早々お弁当を食べ終わった少年、九十九遊馬は膝と足元にカードをばら撒きながら叫ぶ。

小鳥は少し呆れたようにそこにいる二人を見た。

青色に光る半透明の少年、アストラルが腕を組みながら遊馬の頭上から彼の手の中にあるデッキを覗き込んでいる。

「ある意味アストラルも似たようなもんじゃねえか?オレ達には見えないし」

ギャーギャーと騒いでいる遊馬を呆れた視線で見ている鉄男達。彼等から見ると何もない所で騒いでいる身近な友の方が気になって仕方がない。

「んもう、二人とも話聞いてたの?」

唯一アストラルが見える小鳥は二人の間に割って入り、声を荒げる。

「聞いてたって、心配するなよ〜!そんなの委員長の見間違えだって!」

「あれは見間違いなんかじゃありません!!」

床を叩きながらヘラヘラと笑っている遊馬にズイッと顔を近づけ、青ざめながらも信じてもらえなかった怒りの表情で言い寄る等々力。流石の遊馬も青ざめた顔を目の前で見せられ引きつった顔になる。

「いいこと思いついたウラ!」

後ろに引っ繰り返っていた徳之助がガバッと飛び起きると、不思議そうな表情の仲間達に向かって思い付いた事を告げた。

「今夜思い切って皆で学校に忍び込むウラ!皆で行けば怖くないウラよ!」

膝から食べかけの弁当箱がカタリ、と中身を零しながら落ちると同時に、仲間達の驚愕の声が午後の時間を告げるチャイムの音を掻き消すように青空に響いた。

 

 

『カイト様?いかがなされましたか?』

シティの景色を全て見渡せる場所、ハートランドの塔の最上階の屋外に腰を降ろしていたカイトに隣にいたオービタル7が声を掛けた。

我に返った様に目を少しだけ見開いたカイトは、再び何時もどおりの無表情な顔に戻る。

ふと、視線を右手に向ける。

 

あの時握り締めていた手。

するりと抜けたあの手の冷たさ。

 

脳裏にフラッシュバックされる映像に、グッと手を握り締めた。

『もしかして、あの時の』

「言うな」

言葉を遮ると、すっとカイトは立ち上がる。それに反応してオービタルも飛行モードへと身体を変形させた。

空を飛びながら彼はフ、と空を見る。鉛色の雲に覆われた空から生暖かい風が吹き、カイトの頬を撫でる。ぽつり、と呟いた言葉は背中のオービタルにも聞こえない小さな声。

「もうすぐ3年経つのか」




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