2.闇の中

 

 

『幽霊とは、人間の身体から魂という物が離れ、それがあちこち浮遊するもの、ではないのか?』

逆様になってこちらに顔を出すアストラルに、うわっ!と遊馬が短い悲鳴を上げた。それに釣られて、フライパンを持っていた小鳥、キャット、徳之助が順に驚いて短い悲鳴を上げた。

「何よ遊馬!びっくりしちゃったじゃないの!!」

「オレのせいじゃねえって!!お前もいきなり出てくるなよ!!」

『何がいけなかったのだ?』と不思議そうな顔をするアストラルの体の光が正直、明るくて助かる、と遊馬は内心思っていた。

夕暮れを過ぎ学校全体は一気に薄暗くなり、微かな街や月の光で何とか廊下や教室の間取りがわかるくらいだ。

男子更衣室の窓から侵入し、部屋の中に立つ遊馬達。ひんやりとしていて音も気配も何もなく、自分達の息遣いだけの音しか響かない。昼間の授業の時に見たロッカーが不気味に感じ、無意識に遊馬は小さく身を震わせる。

懐中電灯をもって先頭を歩いていた鉄男が振り向いた。

「おい、先生にばれたら怒られるだけじゃすまないぞ?」

静かにしろ、と静かに叱られ、ったく・・・とため息混じりの声を発する遊馬に、小鳥はフライパンを、キャッシーは猫のようにつめを立て、

「幽霊が本当に出てきたら、これで殴ってやるっ!」

「く・・・来るなら来なさい!思いっきり引っかいてやるんだから!!」

どこかぎこちない二人を見ながら側で「スクープを取るウラ!」と首のカメラを構え、震えながらも息巻いている徳之助。

「つーか、委員長・・・いい加減こっちに来いよ?」

地べたに座り込み頭を抱えながら震えている委員長、等々力は「もう無理です・・あの時の目が瞼から離れません・・・それにまた先生に見つかったら・・・」

とどのつまり立ち直れません・・・と頭を掻き毟りながら泣きじゃくる彼を見て「仕方がない、置いていくか」とため息をつきながらも、鉄男は扉を生唾を飲み込みながら扉をゆっくりと押した。

 

 

近くで見なくては水が張っているのかすら解らないくらい、プールの水面は静まり返っている。

扉付近のシャワー室や水道の蛇口は完全に乾いており、授業が終わってから誰も使ってない事を現している。

扉の隙間から中の様子を見ていた遊馬達は、中の様子を良く見ようと、少しずつ隙間から顔を出した。

「な、何もいないじゃない」

良かったぁ、と安堵のため息をついた小鳥は構えていたフライパンをゆっくりと下ろした。

「委員長の見間違えじゃないの?」

腰に手を当てて、自分より背の低い徳之助の後ろに隠れるように付いてきた等々力を見ながらキャットが少し冷たく言い放つ。

「いいえ!あれは夢でも幻でもソリットビジョンでもありません!間違いない人の形をしていました!!」

室内プール内に響く声に「静かにするウラ!」と徳之助に怒鳴られる等々力に「だから静かにしろって!!」と更に声を張り上げる鉄男を見ながら、遊馬は苦笑いをした。

「ま、どっちにしろ誰いないし、見間違いだったんじゃあ・・・」

隣にいたアストラルの視線の先を見た遊馬の声が小さくなっていく。不思議そうに「それ」を見ている相棒とは打って変わり、それに気が付いた仲間達も、その方向へ視線を向ける。

 

月の光がそれを照らしていた。

水面から顔の半分を出し、その視線はこちらに注がれていた。

髪の毛らしきものがゆらゆらと水面上で揺れ動き、水面は微かに波紋を立てている。

 

声が出ないというのはこういうことだろう。

あまりの事に腰を抜かし、そこにいた全員その場に座り込んでしまった。

「で・・・出た出た出た出た・・・」

同じ事を何度も繰り返す等々力に対し、やっとの思いで悲鳴を上げることが出来た小鳥の声に反応して、言葉にならない音を声から出しながらその場から逃げようと、皆が一斉に動き出した。

 

〔・・・ください〕

 

今にも消えそうなか細い声に、立ち上がろうとした遊馬はプールの方へ振り向いた。

「・・・へ?」

間の抜けた遊馬の声と同時にアストラルはフワ、とその声の主の元へと飛んでいく。

水面に顔半分を出した、その姿を再び視界に入れ遊馬は思わず顔を歪めた。

「おいやめろアストラル!」

静止を無視し「それ」の前まで来たアストラルは、不思議そうに「それ」を見つめる。

『君は誰だ?』

〔・・・私にください〕

『何が欲しいんだ?』

アストラルが言い終えると同時に「それ」は水面から魚が飛び跳ねるように現れた。驚いて事の様子を見ていた遊馬は赤い瞳を見開いた。

 

金色の腰までのウェーブのかかった髪に、身体のラインに沿った白いドレスは足元を隠し、さらに肩から手首に掛けて広がる袖は手が見えない程長い。

肌が見える部分は鎖骨から上だけだ

 

凄い綺麗だ、それが一番頭に浮かんだ言葉だった。

 

驚いたアストラルは思わず少し「彼女」から離れたが、彼女の手が彼の頬に触れる。

長い服の袖は「手」を隠している為、袖が頬を触れている。

長い袖が恐らく手があると思われる箇所から重力にそって垂れ下がり、ゆらりと揺れる。それが肌に触れてくすぐったかったのか、アストラルは目を細めた。

 

〔光・・・〕

『光?』

〔貴方は持っている?〕

おもむろに遊馬は鉄男の持っていた懐中電灯に視線をおくる。それに気付いた鉄男が「欲しいって・・・これのことなのか?」と震えながらも、しっかりとした口調で懐中電灯を見る。

ごくり、と生唾を飲みながら遊馬は鉄男から懐中電灯を受け取る。小鳥の静止の声がするが、彼はゆっくりとした足取りでプールサイドへ歩み寄る。

近づいて来た遊馬に気付いた彼女が、アストラルから離れてゆっくりと視線を向ける。

「あんたが欲しい〔光〕って、これのことか?」

光ったままの電灯をゆっくりと彼女に向けるが、彼女は不思議そうな顔をしたまま、金色の目をこちらに向けた。

彼女がおもむろに手を差し伸べる。遊馬はその手に懐中電灯を手渡した。

「おわっ!!?」

懐中電灯が音を立てて水面下に沈んでいった。と同時に遊馬は思い切り手を引っ張られた。

思わず尻餅を付き、水面への落下を免れた遊馬は、隣で心配して自分の名前を呼ぶ相棒を横目に、手を引っ張った本人に視線を送った。

〔その光・・・〕

ふわりと髪が彼の鼻腔を擽る中、え、と間の抜けた声を出して遊馬は彼女が触れる腰の部分を見る。

デッキケース?

目を細めてそれに触れようとする彼女に「あんた決闘者なのか?」と尋ねる。

〔あの子の持つ光とは違う〕

「あの子・・・?」

今にも消えそうな声が遊馬の鼓膜に響く。目の前の「彼女」の姿に一瞬心が跳ねるが、その声を聞いて遊馬の表情が段々と険しくなった。

「お前達!こんな時間で何してるんだ!?」

扉が開き、男性の声―担任の右京が怒りを含んだ大きな声で室内プール内へ入ってくる。

「せ・・・先生!!?」

声と同時に「彼女」は水の中へ姿を消した。尻餅を付いていた遊馬は視線を水面へ送るが、「彼女」の姿はどこにもいなかった。

「等々力・・・またお前か!しかも他の皆まで!」

「せ・・・先生!とどのつまり、これには深いわけが!!」

慌てて右京に訳を話そうとする等々力達に対し、心配して小鳥がプールのサイドに座っている遊馬に駆け寄った。

「遊馬!大丈夫?!」

「あ・・・ああ」

『遊馬・・・彼女の言葉・・・』

水面をじっと見詰め、真剣な顔の彼にふわり、とアストラルが遊馬のとなりに飛んでくる。

静かになった水面の懐中電灯に視線を落とす。

水面に沈んだ懐中電灯は点滅を繰り返していたが、やがて光は静かに消えた。