3.追撃《Episode-2》
「ね?今日くらい良いでしょ??」
空が赤と青のグラデーションに染まっていた。半分に欠けた月が光を放って町を照らす。
天平をマンションまで送り届けた直後、龍亞は氷室に「今日、遊星たちの所に泊まりたい」と言う。好奇心な瞳は疑う事を知らず、大人達を捕らえていた。
「ったく、我侭なんだから」
「ちーがーう!!遊星にデュエルのコツとか色々聞きたいんだ!」
駄々をこねる子供のように、突っ込みを入れてきた妹に叫ぶ龍亞。バイクを引いていた遊星に視線を向けると何かを考えているような顔をしている。
「オレ、少しでも遊星に追いつきたいんだよ!」と頑張って叫んでいる龍亜の頭を撫でてやる氷室達を横目に、龍可は心配な顔をしながら遊星に近づいた。
「あの・・・さ、遊星」
「どうした?」
「・・・ちょっと変な事を聞くんだけど」
ドラゴンが・・・、と言おうとした瞬間、遊星の表情が厳しくなった。驚いた龍可は彼の見ている方向を向く。
「よぉ、久しぶりだなサテライトのクズ野郎」
白いバイクを吹かし、遊星に向かってライトを照らすセキュリティの男。ヘルメットから見える目は既に獲物である遊星を捕らえていた。
不気味な低い笑いを発すると、牛尾は自分を睨み付ける遊星を見る。
いきなりのライトの光に気付いた氷室達も視線をそちらに向ける。
遊星は氷室に龍可達を連れて行くように言う。廃ビルの近くの壁まで二人から離れると、それに気付いた遊星は牛尾に言う。
「まだオレを追いかけるのか?」
「ったりめーよ!オレはお前を牢にブチ込むまで気がすまねぇんだよ!」
挑発するように、耳を塞ぎたくなるバイクの音をさせる牛尾に、遊星は黙ったままヘルメットをかぶった。
「遊せ・・・」!
龍亞が叫ぶと同時に、二台のDホイールは音を立て、ヒビの入った道路を振動させながらはるか彼方へと消えていった。
昔は高速道路だった場所。海沿いに建っているそれは、今ではあちこちにヒビや穴が開いていて、通る者が誰もいないのを物語っている。穴の下は廃工場から流れ出ているヘドロのせいで、海の水が灰色に濁っている。
「おいどうした?その程度の走りじゃなかったろ!?」
そんな危険な場所を二台のDホイールが前後に、夜の静けさをかき消すように走っていた。
「もしかして穴に落ちるかもしれねぇからビクビクしてるのか?ヒャハハハ!笑わせるぜ!」
自分を嘲る声、しかし遊星は静かに、牛尾のDホイールの後ろを走っていた。そして静かに辺りに気を配っていた。
―他に誰かいる。
サテライトでは縄張り争いが後を絶たない。いつしかそこに住んでいる者の半分以上は自分や仲間以外の気配も感じるようになっていた。遊星もまた、自然とその能力が付いたようだ。
「聞いてたか、クズ野朗?!そろそろデュエルの方始めさせてもらうぞ!」
遊星は小さく唸った。仕方が無い−そう思ってスタンバイしようとしたその時だった。
バンッ!
それは二人がちょうど海沿いの高速道路から降りたときだった。何かが廃ビルの上から降りてきたのだ。悲鳴のようなブレーキをかけ、同時に二人は落ちてきた何かの前で止まった。
目の前で砂煙が立ち上っている。その向こうに牛尾と同じ形のDホイールに乗った人の姿が微かに見える。
「・・・誰だ?!」
遊星は睨む様に、その影を見る。途中でデュエルを止められて頭にきた牛尾は、それに怒鳴りつけた。
「お前じゃあ、そいつを止める事は出来ない。私に変わるんだな」
低い女の声。遊星がそう思った瞬間、牛尾の顔がさらに険しくなった。砂煙が落ち着くと声の主は姿を現す。
昼間、牛尾と話しをしていたあの女性だ。
「しゃしゃり出るなって言ったのに・・・!」
「命令だ、そいつは私が捕獲する」
ヘルメットを被っているので顔は解らない。警戒している遊星の青い目は、その隙間から見える灰色の目を見つめた。赤い紅の唇がニッと笑う。
ギュルルル!!
瞬間、その音に驚いている牛尾を隣に、彼女は遊星目掛けてDホイールを突進させていた。
「!?」
とっさに遊星はDホイールを回転させ、彼女から離れた。数メートル離れた場所まで走り、再びUターンして遊星の元へ突っ込んでくる。
「チッ」
舌打ちして牛尾のいる方向の道路へ走る遊星。「待て!」と後ろで叫ぶ彼女の声が、走っても付いてきた。
「おい・・・冗談じゃねえぜ!!」
唖然として成り行きを見ていた牛尾だったが、エンジンを勢い良くふかすと、彼らの後を追った。
「サテライトのクズが、逃げられると思ってるのかい?!」
どうしてセキュリティの人間は同じ台詞ばかり言うのか、そう内心思いながらも振り向くことなくDホイールを走らせる遊星。
ビルは壁の一部を崩し、中の鉄筋が赤錆だらけな姿を空気にさらしていた。壊れたパイプからは濁った水がチロチロと音を立てて石とホコリまみれの地面にしみ込んでいる。正面の壁には、いつ誰が書いたのか解らない、上の者達への侮辱と怒りの言葉が書かれていた。
その壁の直ぐ横にあるまるで洞窟か、と思うトンネルの中に遊星はDホイールを走らせた。
(・・・ここはサテライト?)
仲間達と一緒に過ごした場所と同じ臭いが、ヘルメットの隙間から通って鼻についた。かび臭い、ホコリの臭い。
「どうした?降参してサテライトへ帰るのかい?」
そうはさせるか、と後ろから声がする。彼女はスピードを上げると遊星のすぐ隣に並ぶ。
ライトの光が洞窟の中を照らしていた。
「あたし達しか知らないサテライトへの道さ、まあ、どっちにしても中へ入るとセンサーが鳴るから、クズ野朗は出入りは無理だけどね」
甲高い笑いが無償に腹に立つ。遊星はさらにスピードを上げるが、それでもセキュリティから逃げる事が出来ない。
前方の方が月明かりに照らされていて少し明るい。どうやら出口に着いたようだ。
何とかして振り切らなければ−。さらにスピードを上げた遊星に舌打ちをする彼女の声が、エンジン音に紛れて聞こえる。「よし」そう思った瞬間だった。
ビービー
遊星のDホイールから低い音がする。―スピードが落ち始めている?
ハッとしてDホイールの画面を見る。映像にはホイールの前輪付近に異常があると知らせていた。
同時に昼間の龍亜達の事をフと思い出した。−まさかあの時?!
「どうした?スピードが落ちてきているぞ?」
その言葉に前を向いた遊星。狭い穴の開いた道路が遠く水平線に向かっている。同時にトンネルから轟音と共に外に飛び出した。海に面している所に何やら建物の影を目で捉えた。
―あの建物の中へ隠れる事が出来れば!!
そう思ってエンジンを最大にまで上げるとその場所まで走った。警戒音がさらに大きくなり、これ以上の走行は危険を教えていた。でもあそこまで行けば何とかなる、遊星はそう思っていた。
目の前に白いひげの男が、新聞紙を持って歩いてくるまでは。
「何?!」
とっさに遊星はハンドルを右に捻った。それに気付いた男は虫歯だらけの口を大きく開いて驚き、悲鳴をあげ、その場にしゃがみ込む。その直ぐ隣を、赤いDホイールが横転する。
横転した赤いDホイールは、火花を散らしながら、勢いを付けたまま道路の穴へと突っ込んでいく。
―落ちる
ハンドルを握ったまま、とっさに落ちた衝撃の為に身体を硬くした遊星。
オオオオオ・・・・
獣の咆哮。頭の中で一瞬見えたヴィジョン。痩せ細った女性が牢屋のような場所から手をだし、白と青の星屑のような光を放つ獣に手を添えている。
あの龍は・・・そう思った刹那、あの声が頭の中に響いた。
―良い子・・・私の・・・
一瞬の出来事で頭の中が追いつかなかった。次に襲ったのは目の前に広がる暗闇だった。
ジャックは走らせていた白いDホイールを止めた。
いつもなら観客でにぎわうスタジアムも、今の時間は静まり返っている。自分を照らす照明とエンジンの音、それ以外は何も聞こえない。
彼は静かにDホイールから降りると、ヘルメットを取り、空を見つめた。
その姿はまさに「キング」に相応しい姿をしている、堂々とした姿だった。
「どうなされましたか?」
レクスがジャックの後ろから声をかけた。−気配がない、何とも気味の悪い男だ、とジャックは心の中で思った。ニコリと笑った目には、何時もながら感情を読み取る事は出来ない。銀色の髪が風に揺れる。
この男に話しても別にこれといった解決はないだろう。黙ったまま、そう彼は思った。再びヘルメットを被り、このスタジアムを走ろうと、そう思った時だった。
ピピピ、と電子音が鳴る。レクスは上着から携帯を取り出す。それが気になったのか、ジャックはDホイールに跨ったものの、無意識に彼の話を聞いていた。
「解りました・・・今からそちらに向かいます」
そういって携帯の電源を押すと、睨むように自分を見ているキングに笑いかけるように言い放った。
「あのサテライトの男が立入禁止内に入ったようです、直ぐに向かいますが・・・」
ご一緒いたしませんか?と目を細めて言う。
「・・・・・」
黙ったままジャックは白いDホイールを出口に向けた。本来なら気にしない事だ、しかし先ほど聞こえた「あの声」が彼をその場所へと呼んでいる、そんな感じがした。
ジャックは無意識に右腕を掴んだ。痣のある場所が酷く疼く。それを見たレクスは空を見上げた。
赤色に近い月が、獣の目のようにこちらを睨みつけている。