13.心《Episode-12》
蛇の群れのように、錆び付いたパイプが天井に連なっている。元は線路だったのであろうその場所は、今ではその面影を残さないほど、廃墟と化していた。
水をはねながら、2体のDホイールが低いエンジン音を立てながら走っていく。
ぴちゃん、とパイプから漏れた雨水が、ヘルメットを着けていない遊星の首筋に垂れる。
「戻ったら予備のヘルメットを作るか」と、考えながら、カノンに眼をやる。
目を細めて前を向く彼女の顔には、やはり微々たるものだが青白い。それを誰にも悟られないようにしているのは、弱みを見せない彼女自身のプライドなのだろう。
「あの・・・遊星・・・」
背中でしがみ付いていた龍亞が静けさに耐えかね、小さな声を上げる。
「あの人・・・本当に悪い人じゃないから・・・」
「ああ、解っている」
振り向かずに返事をする。クズ呼ばわりされてはいるものの、彼女は確かに龍亞を助けた。
目の前の道は暗く先が見えない。
フと、遊星はマーサの言葉を思い出す。
『カノンの事なんだけど、あの子、子供を産んだ事があるのかい?』
心配そうな顔をしたマーサが、Dホイールの最終調整をしている遊星に話しかける。
『どうしてだ?』
『手当てをしていたら、腹部に帝王切開の跡があったんだけれども、その傷が膿んでいたんだよ』
かなり古い傷だったけれど、それが酷い状況でね−
Dホイールを触れる手を止めた。彼の脳裏に、子供を返せと泣き叫ぶあの時の母親の言葉が蘇る。女性の姿は、確かにカノンに似ていた。
―もう二度と、子供が産めないくらいに
「子供・・・」
ブレーキ音がトンネル内に響く、カノンのDホイールが止まったのに気付いた遊星も、思わずブレーキをかける。
「・・・今、何と言った?」
低い怒りのこもった声が、静まり返ったトンネル内に響く。言ってはならなかったのか?そう思った遊星は言葉を詰まらせた。止まると同時にカノンは、無意識に下腹部に手を置く。
「あのさ・・・二人とも・・・」
遊星の後ろからヘルメットを持ち上げて、顔を紅くしながら恥ずかしそうに二人に笑う龍亞。
「止まったついでに・・・便所行ってもいいかな?」
「ゴメン!直ぐに戻るから!!」
言いながら駅の所長室だった場所へと走っていく龍亞。青く錆び付いたドアを軋ませながら、パタパタと小さな足音がトンネルに木霊しながら聞こえなくなる。
しん、と辺りが静まり返る。微かにトンネルの隙間風や雨水の音が響く。太陽の光すら遮っているその場所は、暗闇の中の唯一の光だ。
少し間を空けて自分のDホイールに凭れるカノンを横目に、同じように凭れながら紅いヘルメットを抱えて目を閉じる。
スターダスト・・・どうしてお前は、今になってオレにあんな過去を見せた?
あれから姿を見せなくなったドラゴンに対し、彼は心の中で疑問を投げつけた。
シティであの子供の母親に腹部を蹴られた事を思い出す。雨水と埃の匂いが鼻に付き、あの頃を思い出させる。
雨なのか、涙なのか解らないくらいに顔はビショビショ濡れていたあの時・・・鉛色の雲を見つめて自分の中で何かが壊れたのを感じた。
オレは・・・あんた達にとって、どんな存在だったんだ・・・?
ぴちゃん、と天井のパイプの水滴が閉じた瞼に落ちる。水滴は、犯罪者としての証である、頬の黄色のマーカーにそって静かに流れ落ちた。
今はそんなことを考えなくていい。龍亞をシティに連れ戻さなくてはならない・・・。
「・・・子供・・・か」
カノンのその言葉に、遊星は目を開き、手の甲で水滴の跡を拭い去る。セキュリティのDホイールに凭れて座っている彼女に目を向ける。
「サテライトに巡回した時に襲われて、その時に出来たさ」
ハッキリとした彼女の声に、遊星はグッと拳を握り締める。女性にとってその事がどんなに屈辱だというのは解る。
聞いてはならなかった−。そう思いながら奥歯をかみ締めた。サテライトの人間を嫌いになるのも無理はない。
「暫くしてシティのある研究に連れて行かれて、何か解らない実験をされて亡くなった・・・しかし可笑しいものだ・・・私を孕ませたサテライトの奴と同じ生まれのクズ野朗と共に行動をし、子供を殺した男と同じ生まれのシティで平和の為に戦っているのだからな!」
ハハハ、と笑うカノンに、遊星は青色の瞳を細くしながら聞いていた。
「悲しく・・・なかったのか?」
子供の死に泣き叫ぶ女性の姿と、同じ痣を持っていた「母親」が脳裏に映し出された。
「何をだ?」とカノンは目を細め問う。「好きでもない男の子を産んだんだ、別に情も何も感じなかったさ」
何かが心に突き刺さる。頭の中でその言葉が何度も繰り返され、遊星は自分の肩を抱いた。
爆発するような音と龍亞の悲鳴が聞こえてきたのは同時だった。
龍可は灰色のカバーがボロボロになった椅子から勢いよく立ち上がった。隣の席で、のんびりとお茶を啜っていた柳は、驚きの余りブッと茶を口から勢い良く吐き出す。柳の行動に、椅子に据わりながら机の上に足を乗せていた氷室は、その行動に驚き、ドシン、という重々しい音を立てながら床に倒れ込む。
「どうした龍可?」
隣の部屋から雑賀が来る。青ざめた顔をした龍可が、胸の前に手を置きながら震えている。
「龍亞・・・」
凹んでしまった扉を蹴破った。その振動で壁の破片がパラパラと音を立てて落ちる。
天井と壁は崩れ落ち、壁は錆び付いた配管がむき出しになっている。折れ曲がったパイプからは、シューという音を立てて、水蒸気が漏れ出していた。
奥へ続く扉の近くに、うつ伏せで倒れ込んでいる少年を見つけ、走り寄るとゆっくりと起こした。
「・・・いてぇ・・・」
頬を煤だらけにして龍亞が意識を取り戻し、顔を上げた。「怪我はないか?」と頭に手を置くと、「何とか大丈夫みたい・・・」と言いながら龍亞は自分の頭を撫でた。
「爆発?何が起きたのかな・・・?」
「解らない・・・」
服の裾をパンパンと叩く龍亞を横目に立ち上がって辺りを見渡す。
爆発した天井を見つめる。
錆び付き、折れ曲がったパイプから、その場所に似使わない赤色の銅線がぶら下がっている。
「・・・どうして、こんな所に・・・!?」
再び龍亞は短い悲鳴を上げた。すぐ足元の瓦礫の下に、拳ほどの大きさの溝鼠が、腸を撒き散らしながら潰されていた。
ガタガタと震えて遊星にしがみ付く龍亞に、「大丈夫だ」と遊星は彼の目線まで座り込み肩を抱いた。
耳を劈くような音が響く。そう思ったと同時に天井は苔生したコンクリートを四方にばら撒きながら、彼らの頭上で爆破を起こす。
「龍亞!」
とっさに龍亞を抱きしめる。同時に背中に鋭い痛みを感じると同時に目の前が白くなっていくのを感じた。爆発で震える彼を励ますように、遊星は声を絞り出した。
「大丈夫だ・・・お前は必ず・・・守る・・・」
―たとえ、オレが死んだとしても
再び、甲高いドラゴンの声が聞こえたのは、その直後だった。